ホワイトボードに書かれた60、20、20の数字を指差す。
「100になるべく選手自身の力で変えられるのが60、監督やコーチ、スタッフの力が20、残りの20は家族や友達。つまり、どれだけ監督やコーチがいい練習や考え方を与えてくれたとしても自分自身がそれを受け入れ、変わらないと60の力は発揮できない」
ホワイトボードを使用して選手へアドバイスを送る古賀幸一郎さん
熱を交えながらも理論的にその意味を説くのは、今季限りでウルフドッグス名古屋を退団、現役引退を発表した古賀幸一郎氏だ。
2007年から09年までNECブルーロケッツに在籍。内定選手として初めて出場したパナソニック戦以後、連続出場試合数は、Vリーグ歴代1位となる通算325試合を達成し、サーブレシーブ賞、ベストリベロ賞を共に6回受賞したまさに“レジェンド”が臨時講師としてレッドロケッツに来訪。4月8日から10日の3日間、全体練習や個別練習で「マインドを変える」ことの重要性を説いた古賀氏。同期入団で、現在も深い親交のある金子監督と3日間の指導を振り返って、さらにはそれぞれの現役時代、ブルーロケッツ時代を振り返る対談を実施。バレーボールに対する熱い思いや愛情、今だから明かせる笑い話。2人の絆が伝わる、記念すべき対談をお届けしたい。
名前 | 古賀幸一郎 |
---|---|
出身地 | 長崎県佐世保市出身 |
生年月日 | 1984年8月30日 |
ポジション | リベロ |
経歴 | 佐世保北高校→国際武道大学→NECブルーロケッツ→豊田合成トレフェルサ(現:ウルフドッグス名古屋) 連続出場試合数325試合は、Vリーグ歴代1位。サーブレシーブ賞、ベストリベロ賞を共に6回受賞し、日本代表にも選出。 2020-21シーズンをもって現役を引退した。 NECレッドロケッツ金子隆行監督とは、NECブルーロケッツ時代の同期入団という間柄。 |
「伸びしろしかない」からこそ、変化を恐れるな
――つい先日まで現役選手だった男子選手が女子チームでアドバイスをする。これまでない試みが実現した経緯を教えて下さい。
金子 もともと僕らは同期なので、彼(古賀氏)が引退した時に「お疲れさん」と電話したんです。そうしたら携帯をなくしたとかで開口一番「誰?」と言われて(笑)。そこからお互いの現状や今のレッドロケッツの話をする中で「レシーブやサーブレシーブをもっと強化したい」と伝えたら「マインドを変えるのが一番早いよね」と。それならば実際にアドバイスをしてもらう場を用意することによって、選手はいろいろな引き出しを持つのではないかと思い相談をしました。
古賀 僕は今時間もあるので、求められているならどこにでも行く。金子監督も3年経っていろいろチームも変化している中で、取り入れたいものがある。そこで役に立てるならどういう形でも協力はします、というスタンスなので迷う理由はありませんでした。
金子監督からの電話でこの機会が実現した
――実際に女子選手へアドバイスをして、どんな印象を受けましたか?
古賀 伸びしろしかないですよね。特に相手との駆け引きの部分で言えば、めちゃくちゃ伸びしろがある。
たとえばチャンスボールもそのまま相手に返すのではなく、ちょっと工夫すれば相手のミスも誘えるし、得点につながる。そのまま正直に取って返さなければならないルールなんてないわけです。サーブレシーブもそう。相手のサーブに崩されて攻撃に入れない選手をいつまでもマークしていても意味はないですよね。そういう考え方、ちょっとの工夫はスキル練習で備わるものではない。だからこそ考え方次第なので、伸びしろしかないですよ。
実際にプレーして見せる古賀幸一郎さん
金子 まさにそこは伸ばして行きたいところではあります。まだまだ、与えられたことをやればいいという意識が強い。でもそれだけじゃ面白くないし、自分のプレーや判断に責任も生まれません。
(古賀)幸一郎に伝えてほしかったのはそういうところで、僕自身も女子での指導が長くなるうちに「女子の世界はこうだから」と考えが固まりかけていたところもあったのですが、実際(古賀氏に)アドバイスしてもらうのを見て、選手の表情や取り組む姿勢を見ていて、やはり間違っていないんだな、と思いました。今は選手にとって古賀さんは神様ぐらいの位置にいて(笑)、教えられたことを素直に受け入れていますが、大事なのはこれから。彼が伝えてくれたことや、練習をどうブラッシュアップしていくかが自分の役目だと思うので、経験して終わらせるのではなくて、形に変えていくことが大事ですよね。
監督になってからずっと選手には「自分で考えて動くことが大事」と発してきたつもりですが、1年目は全然伝わらなかったと思うし、むしろ僕が何も言わないから「どうして金子さんは何も言ってくれないんだろう」と選手は不安だったはずです。それが少しずつ、自分たちで考えて動くってこういうことなんだ、と選手の意識が変わり始めて、結果に結びついて来たタイミングで来てもらったのもよかったと思いますね。
古賀 俺は女子の世界は全くわからないけれど、今までの常識が非常識になる可能性は大いにある。
たとえば昔は「(練習中は)水を飲むな」が常識で、それをみんなずっと守っていた。でも今は水を飲むな、なんて誰も言わない。時代は変化していて、変化に対応することが大事。凝り固まった認識からは脱却していかないといけないかなと思うし、今までこうだからこれからも同じというのはイコールではないですよね。
よりよくするためにどうするか、いかにブラッシュアップできるかというのはバレーボールに限らず、絶対重要でしょ。実際女子は練習時間が長いと聞くことがあったから、NECの練習時間が短いのもびっくりしましたね。
金子 今日は2時間。普段も基本的には2時間半で、長くても3時間かな。特に今日は幸一郎に教えられたことを選手たちはその都度考えて動くから、その状態で長く練習しても頭がついてこない。
それならば思い切って普段よりも早めに練習を切り上げて、一生懸命「考える」ことに挑戦している彼女たちに考える時間を与えたほうがいい。あれこれ詰め込むだけでなく、整理する時間も必要です。
――実際に古賀さん発案のメニュー、ぎっちり技術を教え込むというよりも「意識を変える」ことに重きを置く内容でした。セレクトした理由は?
古賀 ボールの下に入って丁寧に送り出す、と教えられてきた選手にとって「手から行く」「身体のどこでも上がればいい」というのは新鮮である反面、「何を言っているんだ」とも思いますよね。大事なのはそれができる、できないではなく「こういうやり方もあるよ」と意識を変えることなので、複合的な練習をするよりも単純なメニューのほうが伝わるんじゃないかと思いました。
たとえば練習冒頭の(60、20、20に関する)話にしても、周りが変えられる力は40でも、本人次第でそこは60が70にもなるかもしれない。引き出すのは自分の内側だ、ということを伝えたかったので、こういう形をセレクトしました。
古賀幸一郎さん発案のメニューで選手へアドバイスをおくった
金子 選手だけでなく僕も含め、スタッフ陣にとっても考えさせられるきっかけになりました。伝え方や準備、もっとできることがあるんじゃないかと思います。
古賀 同じことを言われて全員同じことをできるかと言えばそうじゃない。じゃあなぜその差が生じるかといえば、人それぞれ感覚や理解力が違うわけです。同じことを与えてもそこから得られるものがたくさんある人間もいれば、少なくなる人間もいる。それこそ自分の感覚や、いろんな要素が背景としてあるわけでしょ。
金子 たとえば僕が監督になった頃、何もしゃべらないことに対して周りからは「もっと言わなきゃダメだ」と実際言われたけれど、考えることを促す以上それは違うと思ったんだよね。そこを変えるのが難しかった。選手も大変だったと思うよ。
古賀 でも「聞きに来るな」とは言っていないわけじゃない。だったらそこで自分が「あの人は教えてくれない」と距離を置くか、学ぼうとするか。60、20、20の例じゃないけれど、その数字をいかに伸ばせるかは顕著に出る。
金子 3年経って選手に浸透してきたし、実際自分から「今の打ち方がどう見えたか」と聞いてくる選手もいる。そういう選手をもっと増やせるように、監督として20の中身を増やさないといけない。僕もいい気づきを与えてもらいました(笑)
「いい時も悪い時もあったけれど、すべての経験に感謝」
――ブルーロケッツの休部以来12年ぶり。今の選手の中には古賀さんがNECでプレーしていたことを知らない選手も残念ながら少なくありません
金子 2007年入社、14年前ですからね。今だから言えることですが、実は彼、内定選手として出場した1試合目の前日に捻挫したんですよ。しかも練習ではなく洗濯当番で洗濯に行っているのに荷物も持たず、僕と前田(和樹)さんに「頑張れ~」と言っているだけだから「両替してきて」と役割を与えたら、その帰りに躓いてくじいた(笑)
古賀 今でもハッキリ覚えているわ(笑)。市電が走る広い横断歩道の信号が点滅していたから急いで走ったらグキッと(笑)。でも次の日に出られるチャンスがあるのをわかっていたから、これは誰にも言えないと思って、その場で靴下を抜いでコインランドリーの近くにあった川に足を突っ込んで冷やした(笑)。
2月だからめちゃくちゃ寒かったけど、痛かったし、必死だよね。1人で川に足を入れていたら猫が近づいて来たことまでハッキリ覚えているよ(笑)。実際トレーナーも(当時監督の)楊(成太)さんも知らない。知っていたのは金子と前田さんだけで、次の日は試合に出たからね。
ブルーロケッツ時代の思い出を語る金子監督と古賀幸一郎さん
金子 ブルーロケッツでの2年半はホントに濃かった。寮のベッドがデカすぎるから俺は和室がいい、と言い張ったのも幸一郎しかいない(笑)。
古賀 いい時も悪い時もあったけれど、ああいう経験、すべてに感謝だよね。あの時があったから今がある。本当によかったと思うよ。
金子 よくても悪くても使い続けてくれた楊さんには感謝しかない。俺はオーバーパスが得意だったけど、幸一郎はできなくて「俺はアンダー1本で生きていく」と言っていた人間だったのに、今は得意なプレーが二段トスってどういうこと?(笑)
古賀 そりゃあ14年生きていたら少しは成長しないと。身長は伸びないけどさ(笑)。
金子 今日もウチの選手にセットを教えている幸一郎を見るのが不思議だったよ。
古賀 自分でもそう思ったわ(笑)。
――09シーズンからは金子さんはサントリー、古賀さんは豊田合成(現・ウルフドッグス名古屋)へ。先日の引退セレモニーでもチームに対する感謝を述べていました
古賀 膝を手術した直後で、チームも無期限の休部。先が見えない自分に声をかけてくれたのが豊田合成でした。もしあそこで声をかけてもらえなかったら、あのまま引退していたかもしれない。
自分を必要としてもらえるのはありがたいことですよね。金子と同じチームでプレーすることはできなかったけど、別のチームになってからも、それこそ監督になってからもずっと気にしていたし、ずっと心配でしたよ。
金子 俺も幸一郎のことは常に頭にあったし、活躍の度合いで見れば俺なんて全然だけど、どれだけ周りが「すごい」と言おうと幸一郎ならあれぐらいやっても当然だと思っていた。外国人のスパイクも普通に上げるのが当たり前。それなのにどうして幸一郎がいる場所に打つんだろう、って思っていました。
――ブルーロケッツ時代が選手としてのスタートだとしたら、その後の分岐点、ターニングポイントはどこでしたか?
古賀 アンデッシュ(アンデッシュ・クリスティアンソン。元豊田合成トレフェルサ監督)が来てからですね。彼が来なかったら辞めていたかもしれない。それまでは入替戦に行くか、行かないか。そういう意識でしたから。
金子 アンデッシュが来て、目に見えて変化したしやることが明確だったよね。これをやれば勝てるというマインドを教え込んでくれて、マインドを吸収する選手が揃って、チームが「やる」とガラッと変わった。
古賀 そう。アンデッシュが来ただけじゃなく、選手の変化もあって初めてうまくいく。特に、今思えば一番の分岐点はアンデッシュが来る前年と来た年。どちらも同じ5位だったんだけど、順位は一緒でも中身と質が変化した手応えがあった。ステップアップしている実感があったから、そこから一気に変わったね。
金子 俺もパオロ(パオロ・モンタニャーニ。元サントリーサンバーズ監督)とできたことは大きい。ブロックの高さだけでなく、低くても一生懸命前に出す。そういう自分のブロックというのを評価してくれて、なぜここに入るべきか。その理由も明確だったし、あえてブロックの間を抜かせて、そこにディフェンスを入れればOKという発想も教えてくれた。自分自身に責任が持てるし、役割が明確になる。そうなるとチームは強い。
古賀 それは間違いない。自分の役割に徹する人間が多いチームが一番いい。
金子 だから幸一郎がリーグ優勝した時も「悔しい」っていうのはなかった。(高橋)慎治さん(ジェイテクトSTINGS)も監督としてリーグ優勝したけど、一番苦しい時代をブルーロケッツで一緒にやってきた人たちだから、ただただ嬉しい。自分はそういうものを持たない選手だったし、入れ替え戦で始まり、入れ替え戦で終わった選手生活だったけど、コーチ1年目でレッドロケッツが優勝できて、これからにつなげていける、と。幸一郎は現役選手として長く活躍して、自分が努力して勝ち取ったけれど、自分はこれからコーチ、監督として頑張ろうと素直に思えたね。
古賀 実際監督になって、今も「変えたい」という意思は強いし、変化を恐れない。変化を求めればいいことばかりじゃなく退化する、悪くなる可能性もあるからリスクを恐れるなら変に動かず守ったほうがいいかもしれない。でもそれじゃ面白くない。練習時間を短くするというのも1つの挑戦でしょ。
金子 あと30分やって落とし込んだほうがよかったんじゃないか、と思うこともある。でも基本的には毎日、選手が「今日もバレーを一生懸命頑張ろう」となることのほうが大事だから、そこは大切にしたい。
古賀 何事も腹八分が大事。体育館にいた時間の長さがイコール、トレーニングした時間ではなく、大事なのはそこで何が生まれ、何ができたか。レストとリカバリーが違うように、ただいるだけと、目的意識を持って取り組むのは意味が違う。
金子 チームの優勝はもちろんだけれど、目指すところは日本の女子バレーがオリンピックで勝つこと。世界のトップリーグに匹敵するリーグに引き上げてバレーのブランド価値を上げることだから、そうなれるように、1つのチームとしてできることはしたいね。
――最後に、それぞれに向けてメッセージをお願いします
金子 これからはバレーボールという世界から、彼は大海原に出ていく。でもこれだけのものを残した選手なので、ゆくゆくは男子でも女子でもジュニアでもどこでもいいからバレー界に還元してほしいですよね。今回は3日間でしたが、レッドロケッツの変化につながる3日間だったと思うし、女子バレーにも興味を持ってもらえたと思うので、これから先もいろいろな形で関わり続けてほしいですね。
古賀 もちろん。レッドロケッツを常に応援しますよ(笑)。変化を恐れない姿勢はずっと大事なことだし、監督として選手にあえて指示を出さずに女子バレーの根底部分を変える、イノベーションの部分。革新、改革をやろうとしている以上、しんどいこともあるだろうし、俺も次のステップではしんどいこともあるかもしれない。でもお互いどう変化していくか楽しみだし、いずれは俺もバレー界に何かしらの形で還元すると決めているので、お互い頑張りましょう!
(取材:田中 夕子)