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勇退選手インタビュー 佐藤澪 「人間力と経験を磨く。いいこと尽くしのバレーボール生活でした」

チーム情報

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今季限りでの引退を表明した佐藤澪選手。2014/15シーズンからトヨタ車体クインシーズで内定選手としてプレーし、15年には日本代表初選出。ワールドカップにも出場し、19年からNECレッドロケッツに移籍。経験を備えたリベロとして2シーズン、レッドロケッツを支えた“小さな守護神”、佐藤選手のラストインタビュー。

※当取材は新型コロナウイルス感染症対策のため、リモート取材によって実施されています


内定選手時代に知った入替戦のプレッシャー。日本代表で挑んだW杯

――内定選手としての出場を含めると7シーズン、振り返ってどんな現役生活でしたか?
小学校2年生からバレーボールを始めて、小中高大ととにかく一生懸命やってきました。いつも大変で、厳しい環境でしたが、その積み重ねがあったからこうしてバレーボールができていたし、自分の好きなことが仕事になるのはご褒美だと思いながら続けられた6年間。この勝負の世界で戦えたこと、それだけでなく人間力を磨けたことも素晴らしい経験で、財産です。バレーボールを通じて出会えた人たちもたくさんいるので人とのつながりも増え、いいこと尽くしのバレーボール生活でした。6年間続けられたのは周りの方々の助けや支えがあったからで、その中で一番支えてくれたのが家族。これからも、これまでもありがたい大切な存在です。



――小学生の時にバレーボールを始めた頃から、バレーボール選手を目指していましたか?
全然(笑)。全くなかったです。ただ一生懸命やってきただけでしたね。それがVリーグまでつながって、大学最後の1年は内定選手として大学のこともやらなければいけない、でも土日はVリーグで試合をしなければならない。目の前のことに精いっぱいでVリーグの選手になってからも、とにかく夢中で必死。目の前の1本を上げることに一生懸命でした。

――特に印象深い年や、試合はありますか?
トヨタ車体クインシーズの内定選手として出場した最初のシーズンに経験した入れ替え戦です。1日目はJTマーヴェラスにフルセットで負けてしまって、2日目に3-1で勝って残留が決まった。負けたら終わり、という試合で、緊張感もものすごくて、独特な雰囲気。とにかく1本でも上げる、サーブレシーブを頑張る、ディグを頑張る、決まったら喜ぶ。1つ1つに徹することで自分を勇気づけていました。振り返るとあれからもう6年も経ったんだなぁ、と思いますね。

トヨタ車体クインシーズ所属時代の佐藤澪選手



――その後日本代表に選出され、ワールドカップにも出場しました
日本代表に選ばれた時も緊張しました。何しろ初めてで、全く知らない人たちばかりだし、ましてやテレビで見てきた人たちの中に自分が入っていく。これはもう自分からコミュニケーションを取るしかないと思って、とにかく自分から話しかけに行くようにしていました。練習もわからないことばかりだったので、私は一生懸命やるだけでしたが、それをみんなが受け入れてくれたのでとてもやりやすかったし、ありがたかったです。
 

熱いレッドロケッツで徹した、苦しんでいる選手への声かけ

――19年にレッドロケッツへ移籍しました。改めて、移籍を決断した理由は?
実はバレーボールを辞めようと思っていて、最初は移籍も考えていませんでした。でも当時は26歳、まだできそうだと思う気持ちもあって、当時の(トヨタ車体クインシーズの)監督と面談した時に「辞めます」と伝えたら、「移籍という選択肢もあるんじゃない?」と言ってくれたんです。そこで初めて移籍ということを考えるようになったし、まだバレーボールをやりたいな、と思って。親にも相談したら「いいんじゃない」と言ってくれたので、移籍を決めたのですが、希望しても取ってもらえる保証はない。もしかしたらそのまま引退で、1から仕事を見つけなければならないという覚悟もしていたのですが、移籍開示になってすぐ、NECから声をかけていただいて、救われる思いだったし、呼んでいただけてすごく嬉しかったです。



――加入前、加入後のレッドロケッツの印象は?
仲間思いなチームだと感じていて、私も熱くつながりを持ってバレーがしたいと思っていました。実際に入ってからもそのイメージ通りで、若い選手が多い中、すぐに溶け込ませてくれて、とてもやりやすかったし楽しかった。想像していた通り熱いチームで、チーム内の愛情、チームの人たちを愛しているのが伝わって来ました。
 
――佐藤選手がおっしゃる通り、若い選手が多い中、加入直後からチーム内では“お姉さん”的存在でもありました
そうなんです(笑)。ジョンさん(島村選手)の次でしたから(笑)。でも移籍して取ってもらった以上、試合に出てナンボ、活躍してナンボだと思っていました。実際は出場機会も限られていましたが、その中でも出してもらえる時は自分の役割、チームの勝ちに貢献できるようにというのは常に意識してきたし、年下の選手が多いので、プレーだけでなくメンタル面で助けてあげようと思っていました。どんな時も調子が悪い選手は絶対にいるし、見ていればわかる。悩んでいるな、と思ったら「もうちょっとこうしたらいいんじゃない?」と声をかけるようにしてきました。私もそうでしたが、調子が悪い時は自分のいいプレーを忘れかけているんですよね。だからうまくいかない時こそ、自分のプレーを思いきりやる。そのきっかけになるような声かけ、アドバイスができれば、と思ってやってきました。
 
――佐藤選手も含め、同じポジションの小島選手(以下:マナミ)、藤井選手(以下:リコ)、それぞれどんなタイプ?
リベロって全く同じタイプの人はいないじゃないですか。マナミにはマナミの、リコにはリコの良さがある。一緒に練習していてもみんな違うので面白かったです。マナミは堅実で、ちゃんとボールの下に入って膝をしっかり曲げてレシーブするタイプだし、リコはまだ入って来たばかりですけどコミュニケーションを積極的に取るタイプで、とにかく声を出してみんなを鼓舞する。私は無理な体勢をしないから膝も曲げないし、堅実には見えなかったかもしれないですけど(笑)、相手のプレーを予測して動いていました。相手からすれば、いない、と思って打ったところに、いたー!みたいな(笑)。そういうリベロでありたいとイメージしてやってきました。

佐藤選手とともにリベロとして今シーズンプレーした小島選手(左)と藤井選手(右)


「レッドロケッツに来て、人の気持ちを考えること、人として大切なことを学びました」

――選手として、リベロとして大事にしてきたのはどんなことでしたか?
バレーボールって、人と人とのつながりが一番大事だと思うんです。勝つためには個々の厳しさが絶対に必要だと思いますが、それだけだとやっている本人からしたら苦しいじゃないですか。そんなときはポジティブに変換して誰かに伝えたり、誰かが落ち込んでいたら手を差し伸べて、年上の人でも話しかけに行く。自分はそういうバレー生活だったと思っているし、その中で自分の技術を全力で出すことに重点を置いてきました。



――レッドロケッツでの2シーズンで気づいたこと、学べたことはありますか?
バレーボールだけではなく、人の気持ちを考えることの大切さです。今こう思っているだろうから自分はこうしようとか、助けてあげたいという気持ちがレッドロケッツに来てからより強くなりました。特に昨シーズン、今シーズンはコロナ禍の影響もあって練習ができず家にいる時間も増え、余計に自分と向き合う時間も増えた。その結果、バレーボールだけじゃなくて人間力も鍛えられたと思いますね。私はレッドロケッツに来てからひとり暮らしを始めたのですが、当たり前ですが、洗濯もお風呂も食事も全部自分のことをやらないといけない。慣れるまでは大変でしたが、それもマイナスと考えるのではなく栄養バランスを考えて食事をつくったり、部屋中をきれいに掃除して、除菌シートで床を拭く。それだけですごく心が洗われるし、自然とオンとオフもつけられるようになった。バレーボールだけの生活ではバレーボールのことしか考えられず、人としてすべきことが疎かになってしまうこともありますが、将来のことを考えれば掃除や食事、身の回りのことをしっかりするのはバレーボールをするより大切なことだと改めて思いました。
 
――佐藤選手はチームを離れますが、これからのレッドロケッツに望むことは?
この2年で積み重ねて来たことは正しかったと思います。優勝を目指してやってきた昨シーズンで3位になったことは1つの成果で、成長したところ。段階を踏んで来ているし、次のシーズンは優勝できる力があると思うので頑張ってほしい。私も応援しています。
 
――では最後に、応援して下さった方々、支えてくれた方々にメッセージをお願いします
約7年間、本当にありがたい経験をさせていただきました。たくさんの方々の応援のおかげで頑張れたことばかりで、本当に感謝でいっぱいです。これからはバレーボールを離れますが、私はバレーボールに携わって来た人間なのでずっと応援し続けたいし、これからは違った形で見届けたい。レッドロケッツの選手たちも変わらず見守っていますし、何かあればアドバイスをしたり、手助けもしたい。メンタル面で支えていきたいと思います。私もこれから頑張ります。今まで本当にありがとうございました。